こんにちは。千歳あめです。
これの続きです。
2022年に2002年の映画を映画館で観たという前提があります。
あと本記事以外にもう一つ書く予定です。
ここではラティラティのストーリーを追いかけながら感想を書いていければと思います。
この記事は 劇場版ポケットモンスター 水の都の護神 ラティアスとラティオス を観た感想を書きます。ネタバレ注意というか映画を観た前提で読んでもらえると助かります。
【目次?】
①ポケモン映画のシナリオと世間からの評価?
②ストーリーを追いながら感想を書く。
・アバン(OP前)
・OP~水上レース
・ラティオスの救出と装置の暴走
・ラストとエンディング
③次の記事では
【ポケモン映画のシナリオと世間からの評価?】
映画の上映時間は105分でしたが、105分には短編の同時上映も含んでいるので、ラティラティの部分は1時間ちょっとという感じでしょうか。(調べると72分とのこと)普段のアニメ1話が25分くらいと考えると、アニメ3話分くらいの長さしかありません。
どんな映画か一言にいうなら「サトシが旅先で出会ったラティアスと、町の危機に立ち向かう。」(29文字)であり、構成はこんな感じになります。
②女盗賊が街の装置を悪用するのを止めようとするが、装置が暴走してしまう。
③街自体がなくなるのをラティオスが命を落として守り、サトシは街をあとにする。
②の部分が複雑というわけでもなく、(複数の登場人物の視点が交錯するわけでもなく)72分で作るとちょうどこれくらいのストーリー展開に収まるのかなという印象です。
本作品はアメリカのアカデミー長編アニメ賞のショートリスト入りした作品ですが、当時のノミネート条件に上映時間が70分以上というのがあるらしく、これは意識されて作られていたのではないかと思います。
(ミュウツーが85分、ルギアが80分、エンテイが73分、セレビイが75分、ラティが72分、ジラーチが80分
アカデミー長編アニメ賞は2001年から始まっており、エンテイがちょうどその年になっているので、予算の確保が難しくても最低限70分は越えようという制作側の都合があるようにみえます。
※日本でエンテイが放映されたのは2000年ですが、アメリカで放映されたのは2001年でした。)
今でこそ、ポケモンは今後もある程度続いていくであろう大人気コンテンツになっていますが、2000年~2002年くらいはどのような立ち位置だったんですかね?ポケモン映画は3年目~5年目であり、オワコンにならないために踏ん張っていた時代だったのかもしれないと思ったりしています。次作のジラーチからは劇場版でポケモン配布が行われるようになり、興行収入も回復しています。(セレビイ39億→ラティラティ26億→ジラーチ45億)
少し話が逸れましたが、個人的にはストーリーの構成(シナリオ)にこの作品の良さがあるのかと言われたら、そうではないと映画館で観て思いました。今回、投票で上映が決まったわけですが、この作品は、作中の街の雰囲気や音楽、カノンというキャラクター(本物、ラティアス問わず)などが評価された作品なのかなと。
ポケモン映画にシナリオのワクワク感を求めるような年齢・考えではなくなってしまったことや、事前の知識がある状態で観たことも要因のひとつだとは思います。それでもなお、ラティラティはシナリオ全体ではなく、映画で描かれた街の雰囲気やラストシーンに魅力を感じる作品ではないかと改めて感じます。
【ストーリーを追いながら感想を書く】
※をつけた部分は次の記事でもう少し踏み込みたいなと考えています。
アバン(OP前)
・石塚運昇(オーキド)のナレーションの部分から始まるのを見るとポケモン映画始まるなって感じてしまいます。
・本に書かれていたおとぎ話を読み上げるシーン(たぶんリオンが読み上げていたと思う)ですが、滑舌悪くね?と思ってしまいました。事前にオーキドナレーションを聞いたからかもしれませんが。※1
・とある怪盗姉妹が、図書館からおとぎ話が書かれていた書物を窃盗し、車(変形ジェット)でアルトマーレに向かいますが、何でアルトマーレにその書物がないんだ!?って思ってしまいました。大事な話の書類だから、離れた陸地に保管しておこうとかだったんですかね?大事な歴史を伝える本なんだから、普通、アルトマーレの博物館なり、庭園なりに置いておくんじゃないの?と気になってしまいました。
OP~水上レース
・いきなり水上レースがスタートしましたね。サトシたちがアルトマーレに来た理由がこのレースに参加するためとナレーションで紹介してくれています。こういう説明あるの大事ですよね。いきなりの場面転換でびっくりしましたが、レースの躍動感とOPは非常にマッチしていて、映画館で観ていて楽しかったです。
・あとホエルコが普通に出てきましたけど、「??」となっていました。前の記事で3世代ポケモンのことについては述べましたが、しれっと出てくるとびっくりします。ホエルコレーサーの声優が山寺宏一ということもあり、ゲスト声優に新ポケモンをあてがうという形だったんですかね。ちゃんとホエルコってポケモンだよと紹介されてますし。(ラティ兄妹が3世代の新ポケモンなので、ここで驚くのはなんか違うのかもしれないですけど)※2
・水上レースをベランダから観戦する人たちがいますが、ここは3Dポリゴンかなにかで描かれていましたね。街のシーンでも3Dグラフィックスで描かれているシーンがあり、時代を感じました。(映像関係の知識がないので間違っていたらごめんなさい)当時のポケモン作品にはポケモンスタジアム系統があるので、ポケモンの世界で急に3Dグラフィックが出ても違和感は感じなかったかもしれないですね。今観るととても気になってしまったわけですが。
・ロケット団もサトシたちを追いかけてアルトマーレに来ているのが確認できます。今作ではロケット団がストーリーに絡むわけではないですが、彼らがいると安心感があります。※3
・水上レースのところでサラっとサトシとラティアスが接触しているのですが、今見ると、ラティアスがサトシが壁に激突しないように咄嗟に助けていたんですね。今作はサトシ×ラティアスの美少女ゲームなので、最初どのように出会うのかはとても大事です。昔見たときは、ラティアスって人と無邪気に触れ合いたいのかなとか適当に見ていましたが、心優しいポケモンがサトシを助けたところから話が展開されてたんだ!と、この年になって気づきました。ただ、ラティアスが透明になっているので、自ら助けにいったのか、たまたまぶつかったのか理解しづらい部分もありました…
その後、ラティアスがサトシのレースにちょっかいを出すのは彼女の性格が出ている部分なのでしょう。ポケモンのタイミングでこういった一面を出してくれているので、サトシとブランコを楽しむシーンも普通の行動だと受け入れやすいと感じました。ラティオスが妹心配マンなのもわかりやすい。
・水上レースの優勝はカスミでしたが、ストーリーの進行上重要ではなかったですね。(こういった部分に意味があったのか考えるようになってしまった自分を殴りたくなるときもある)優勝したカスミを船に乗せる流れでしたが、船で観光する流れは他のルートもありそうですし。
・また、サトシが一度アルトマーレのゴンドラに乗ってみたかったというシーンがありますが、作中で事前にアルトマーレが観光で有名なところと紹介されていたわけではないです。とはいえ、背景として描かれる街並みから、観光地として有名な場所なんだろうなと自然に思わせてくれたので、この時点でアルトマーレの世界に完全に引きずりこまれているのだと気づきました。
・ピカチュウに水を出してあげる人物が誰かという形で、カメラアングルが下から上になるタイミングでBGMが流れ始めるのがマジですこ。
BGMについて長々と書くとストーリーから外れてしまうので、別記事で書きますが、ここでカノン(ラティアス)と耳に残るBGMをリンクさせてくれるのが本当に上手い。※4
・ここはカノンが画面からフェードアウトすると共にBGMが消えるので、自然とカノンとBGMがリンクしているのがわかりやすいですね。その後すぐにこの少女がラティアスであることが怪盗姉妹にばれますが、この一連の流れは、視聴者に少女がラティアスであることを理解させるのも上手い演出だと思いました。
・ラティアス(カノンの姿)がエーフィのサイコキネシスを受けるときに声をあげなかったのが、ずっと気になっています。※5
・怪盗姉妹がピカチュウの攻撃を受けたあと、橋の下(水路の目線)から映すアングルになっていたのですが、橋の下の柵ごしに映っており、後のシーンでこのような柵たくさんで出てくるじゃん!と映画館で観て思いました。意図して柵もシーンに映していたんですかね。
・その後、大聖堂に向かうわけですが、この建物自体はここまで背景で結構描かれていたんですよね。あと、なんで急に案内のオッサン(ボンゴレ)が案内をはじめるのか、理解できなかったです。親切心なんですかね。この文を書いていて自分の卑屈さに涙を流しています。
ボンゴレは機械の使い方がわかっていないと説明しますが、噓こけ〜と思っていました。一度見たことある作品を見るとこういった部分が多々ありました。あと、個人的にボンゴレというキャラクターを理解することができていない部分があります。※6
・カノン(本物)と出会って、彼女を追いかけるサトシ。走り出しと同時に始まる例のBGMも相まって、この作品における素晴らしいシーンだと思います。※7
カノン(本物)が初対面のサトシの問いかけにちゃんと答えているのも印象に残りました。※8
・追いかける中で追いかける対象がラティアスに入れ替わったわけですが、ラティアスがサトシを秘密の庭園に誘導するところに、ラティアスというポケモンの可愛さを感じます。
・サトシが藤の花(ポケモン世界の植物に藤の花という名前で存在するかは知らんが)のゲートを潜るシーンがありますが、ここは美少女ゲームでいうラティアスルート確定演出的なものだと思っています。※10
あと、通っていた高校の近くが藤の花が有名な場所だったなとか思い出してました。
・秘密の庭園でのシーンは、ブランコ二人乗りするラティアス(カノン)が一番可愛かった。次点でサトシとの別れを悲しむラティアスですかね。
・とても驚いたのがラティオスがピカチュウを舐めるシーンです!ラティオスの舌ってここくらいでしか見ることないんじゃないですかね!ラティオスが舌を出しているイメージが全然なかったので、とてもびっくりしました。
・ラティ兄妹と怪盗姉妹の戦闘シーンですが、ラティオスの攻撃が体当たり系統だけなのが気になったというか、あっさり捕獲されたなと思います。必死になってラティアスを逃がすラティオスですが、なんでお前はあっさり捕まったんだ?? 尺の都合もあったのかもしれないとか見終わって考えてしまいました。3世代、4世代のトップメタは2世代環境では活躍できなかったのかもな…
・あとアリアドスのナイトヘッドにびっくりしました。こいつレベル技でナイトヘッドを習得するんですね。そんなイメージマジでなかったもんで…
・ラティオスの力?を使って装置を動かすわけですが、装置のことを考えると人間のポケモンに対する自分勝手さが垣間見える気がしました。※9
この装置って、ラティオスと協力して動かす機械ではないんですよね。ラティオスは機械内部から自力で脱出できないですし、一方的に力を利用する機械に見えます。心の悪しき者が使ったからラティオスが自力で脱出できないのか、そもそも機械自体がラティオスの力をただ利用するだけの機械なのか、判断が難しいと感じています。
敵の侵入を防ぐシステムにも違和感を覚えます。街に無数の柵を起動させるシステムはアルトマーレ全体を守ると言えるのでしょうか。街の人の避難とか上手くできなくね?とか思いましたが、ただ今回はリオンが滅茶苦茶に柵を起動させていたので、ちゃんとしたコントローラーがいたら、このシステムでアルトマーレを守れるのかもしれないですね。
・サトシが柵のシステムや復活した化石ポケモンの妨害を乗り越えて、ラティアスと大聖堂に向かいますが、モンスターボールを持っていかないんですよね。柵が急に迫ってきて準備する時間がなかった描かれ方でしたが、ここには制作側の意図が存在しているなと、観ていて強く感じました。
ラティアスとサトシの関係性が深まるように、2人の力で(ピカチュウはマスコットキャラクターなので映さないといけない)大聖堂に向かうように描かれているんだと思ってしまいました。
純粋なキッズだったら、サトシとラティアスがんばれ〜とか思うのでしょうが、私はここのシーンは、ラティアスルートにおける共同作業パートだと思ってしまいました。途中、カスミやタケシのポケモンは出てきますが、ストーリーの最後までサトシのモンスターボールからはポケモンは出てきません。
・復活したプテラやカブトプスはよく見る姿とは少し違っています。こういった部分はのちのメガシンカやゲンシカイキにつながる要素なのかもなーとか思いました。昔の作品を見る面白さのひとつだと思います。
ラティオスの救出と装置の暴走
・大聖堂にたどり着いたサトシはラティオスの救出に成功するわけですが、ラティオスが傷ついていくシーンを見るのは結構心苦しかったですね。一方的に利用されるだけのラティオスが不憫だったな…
・装置が暴走するわけですが、復活した化石ポケモンが街を破壊するわけではない様子を見るに、化石ポケモンも人間が街の防衛のために使役する存在だったのだと気づきました。人間ってむっちゃポケモン利用して自分たちのこと守ろうとするやん。
・街を襲う津波を命を落としてまで守るラティオスですが、その原動力はどこにあったのか気になります。妹を津波から守る為なのか、護神として、最後まで街を守ろうとしたのか、ここは視聴者が想像する部分だと思いますが、妹を守るためだったのかなと思いたいです。あんな装置作った人間とか街を守るためよりも、妹を守るための方が個人的には好きかな…
こんな拗らせオタクの考え形よりも、ラティオスは街を救うために命を落としたと捉える方が、ポケモン映画っぽさがあるのは理解しているんですけどね… 新しいこころのしずく(ラティオス)を元の場所に戻した際、カノンの「街を守っていてね」という呼びかけに呼応しているのを見ると、街を救うために行動していたという解釈が正しいとは思います。
ラストとエンディング
・アルトマーレを去るサトシ一行は船に乗っている中、ピカチュウが少女を見つけて、例のBGMが流れます。
そして少女がサトシを見送る際に、絵を渡し、キスをしますが、この少女がラティアスなのか、カノンなのかは明かされません。断定できる要素もないです。(帽子は部屋におきっぱなしなのが描かれている)※11
ここは明かされないからこそ良い。ラストシーンについて自分なりに想像はしますが、公式が答えを出さないことこそが、作中の雰囲気と相まって、この作品を神秘的にしてくれていると感じています。
・見送りが終わってすぐに、エンディング「ひとりぼっちじゃない」が流れ、作品が終わります。曲が良いのももちろんですが、作品の締めかたが綺麗だなと思います。エンディングムービーについてはいろいろ考えることがあるのですが、次の記事にでも。※12
【次の記事では】
長文になってしまいました。
映画のシーンを画像とかで貼った方が読みやすいよなとか思ったのですが、流石にそれはマズいので、AmazonPrimeなんかで確認してもらったり、思い出してもらえればと思います。
ストーリーの流れに従って、映画館で思ったことを思い出して文章にしました。
各キャラクターについてや、街の装置のこと、ラストシーンのことは次の記事にでもしたいと思います。※を中心に書く予定です。
ラティラティの記事は次がラスト!